記紀神話

【ざっくり記紀神話】38.第十七代 仁徳天皇紀

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※『古事記』版は記述が少なく、詳細が分かり辛い為『日本書紀』版を元としています。

※神名などの表記も、極力『日本書紀』版に合わせています。

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【あらすじ/要約】

即位 大鷦鷯尊と菟道稚郎子

●応神天皇40年1月8日 兄の大山守命と大鷦鷯尊は父の応神天皇に「年長の子と年少の子はどちらがより愛おしいか?」と尋ねられた。
●大山守命が年長だと答えたが天皇は不機嫌になった。大鷦鷯尊は末弟の菟道稚郎子に跡を継がせたいという父の気持ちを見抜いていたので「年少は未だ未熟であり大変心配で愛おしいものです」と答えた。
●応神天皇40年1月24日 菟道稚郎子は皇太子、大鷦鷯尊は太子の補佐役、大山守命は山川林野の管理人に任じられた。

●応神天皇41年2月 応神天皇崩御。
●大山守命は菟道稚郎子から皇位を奪おうと軍勢を整えるが、大鷦鷯尊が菟道稚郎子にこれを知らせ、菟道稚郎子は大山守命を罠に嵌めて川に落として溺死させた。
●しかし即位が決定したはずの菟道稚郎子は大鷦鷯尊に皇位を譲ろうとした。大鷦鷯尊はあくまで菟道稚郎子を即位させるつもりだったので三年も続く皇位の譲り合いが始まってしまった。貢物の届け先を巡って海人が右往左往する逸話が残っている。

●事態を重く見た菟道稚郎子は自ら死を選び、大鷦鷯尊が即位することとなった。

聖帝

●即位元年1月3日 都を難波の高津宮に遷した。大和国以外では初めての都となる。

●即位4年、天皇が高い山から国を見渡すと、どの家にも煙が昇っていなかった。これにより民衆が炊事も出来ない程に困窮している事を知った。
●そこで以後三年間、課税と労役を全て免除することにした。
●そして自らは、宮の屋根が壊れ雨漏りしても直すこともしなかった。
●三年が経過した即位7年、再び山の上から国を眺めると、どの家からも煙が立ち上っていた。
●諸国は課税再開を要請したが、結局即位10年まで課税停止は延長された。
●これによって民は豊かになり、傷んでいた皇居の造営を進んで引き受け、天皇を「聖帝」と讃えた。

●その後は河内平野一帯で大規模な治水工事を行った。

・河内平野における水害を防ぎ、また開発を行うため、難波の堀江の開削と茨田堤(大阪府寝屋川市付近)の築造。
・山背の栗隈県(くるくまのあがた、京都府城陽市西北~久世郡久御山町)に灌漑用水を引かせた。
・茨田屯倉(まむたのみやけ)を設立。
・和珥池(わにのいけ、奈良市?)、横野堤(よこののつつみ、大阪市生野区)、依網池(よさみいけ、大阪市住吉区)を築造。
・灌漑用水として感玖大溝(こむくのおおみぞ、大阪府南河内郡河南町辺り)を掘削し、広大な田地を開拓。
・紀角宿禰を百済へ遣わし、初めて国郡の境を分け、郷土の産物を記録。
・紀角宿禰に無礼を働いたとして百済から日本に送られた酒君に鷹狩を始めさせる。
・朝貢を拒否した新羅に上毛野竹葉瀬と田道の兄弟を派遣して討伐。
・呉(宋)と高麗(高句麗)が朝貢してきた。

皇后・磐之媛の嫉妬

●即位2年3月、葛城襲津彦の娘で武内宿禰の孫にあたる葛城磐之媛を皇后とする。
●難波を拠点とする天皇にとって、大和を押さえる葛城氏は重要な同盟者だった。磐之媛は去来穂別尊、瑞歯別尊、雄朝津間稚子宿禰尊を生み、それぞれが履中天皇、反正天皇、允恭天皇となった。以降、葛城氏は皇室の外戚として政権内で強大な権力を握った。

●仁徳天皇は他にも多くの妃を持っていた。なおかつ皇后の磐之媛命は嫉妬深い人物だったため、女性関係に悩むことになった。
●即位22年 異母妹の八田皇女を妃に召そうとしたが、皇后は許さなかった。
●即位30年 皇后が不在の隙をついて天皇は八田皇女を召し、このことを伝え聞いた皇后は恨んで山城の筒城宮(京都府京田辺市)に籠ってしまいそのまま亡くなってしまう。

雌鳥皇女と隼別皇子

●即位38年に八田皇女を立后。
●このようなこともあり、即位40年に妃として望まれた雌鳥皇女は天皇を拒絶し、使者として遣わされた隼別皇子と結婚してしまった。私事を国事に及ぼさぬよう一度は黙認した天皇だったが、増長した二人は反逆を企てるにまで至ったため激怒して誅殺した。

●その後は外交に注力しつつ即位87年に崩御。

世界遺産・百舌鳥古墳群

仁徳天皇 百舌鳥耳原中陵(もずのみみはらのなかのみささぎ)
遺跡名「大仙陵古墳(大山古墳)」。日本一の前方後円墳であり、世界的に見ても最大級の墳墓である。

●即位67年 陵所を石津原(大阪府堺市堺区)に定めて造営を開始したところ、1匹の鹿が役夫の中に走ってきて死んだ。するとその鹿の耳の傷の中から百舌鳥が出てきて飛び去った。そのような事があって、その地を百舌鳥耳原と名付けた。
●これは仁徳天皇陵をはじめとする「百舌鳥古墳群」がある地名の由来である。
●かつては100基を上回る古墳があったが、第二次世界大戦後に宅地開発が急速に進んだため、半数以上の古墳が破壊されてしまった。

●2019年7月6日、アゼルバイジャンで開かれた第43回世界遺産委員会にて、百舌鳥古墳群に属する古墳23基が正式に世界遺産に登録された。

奇譚

『日本書紀』の即位60年以降には、いくつかの奇譚が記されている。

●即位60年 白鳥陵(日本武尊陵)の陵守の雑役免除を解こうとしたところ、陵守たちは白鹿になって逃げてしまったらしい。
●即位62年 遠江国司から大井川に大木が流れてきたとの報告があった。倭直吾子籠を派遣して船とし、難波の都まで送った。
●即位62年 額田大中彦皇子が闘鶏(都祁村)に狩猟に出かけた折、闘鶏大山主が用いる氷室を発見した。以来、氷の貯蔵は毎年の宮中行事となった。
●即位65年 飛騨国(岐阜県北部)に両面宿儺という怪物がいた。一つの胴体に二つの顔があり、四つの手で二張りの弓矢を用いた。朝廷の命に従わ図、民を掠めていたので、和珥氏の祖・武振熊を遣わしてが誅殺した。

【キーワード】

・菟道稚郎子(うじのわきいらつこ)
・大鷦鷯尊(おほさざきのみこと)=仁徳天皇
・聖帝(ひじりのみかど)
・磐之媛
・八田皇女
・雌鳥皇女
・隼別皇子
・両面宿儺
・和珥氏
・武振熊
・百舌鳥古墳群

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