記紀神話

【ざっくり記紀神話】34.第十四代 仲哀天皇紀

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※『古事記』版は記述が少なく、詳細が分かり辛い為『日本書紀』版を元としています。

※神名などの表記も、極力『日本書紀』版に合わせています。

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【あらすじ/要約】

日本武尊の子である。

●成務天皇48年 叔父の稚足彦天皇(成務天皇)に嗣子がなく成務天皇48年3月1日に31歳で立太子。

●仲哀天皇元年  先帝崩御二年後の1月に即位。
白鳥となって天に昇った父の日本武尊を偲んで諸国に白鳥を献上させる。しかし、異母弟の蘆髪蒲見別王が越国の献じた白鳥を奪った為、誅殺。

●仲哀天皇2年  1月 氣長足姫尊を立后(=神功皇后)。 2月 角鹿の笥飯宮(けひのみや)へ。同じ頃、淡路に屯倉を設ける。 3月 紀伊国の德勒津宮(ところつのみや)へ。同地で熊襲再叛の報を聞き九州へ親征開始。6月 穴門の豊浦津へ至る。

●仲哀天皇8年  熊襲討伐のため皇后とともに筑紫の橿日宮に赴き、神懸りした皇后から託宣を受けた。
それは「熊襲の痩せた国を攻めても意味はない、海を渡れば熊襲に勝る金銀財宝のある新羅があるので私を祀って服従せしめよ。そうすれば戦わずして得るだろう」という内容だった。

しかし高い丘に登って大海を望んでも国など見えない。仲哀天皇はこの神は偽物ではないかと疑った。祖先はあらゆる神を祀っていたはずであり、未だ祀ってない神はいないはずでもあった。

神は再度、皇后に神がかり「おまえは国を手に入れられず、妊娠した皇后が生む皇子が得るだろう」と託宣するが、仲哀天皇はこれを無視。構わず熊襲を攻めたが敗北してしまった。

●仲哀天皇9年  熊襲との戦いの中突然崩御。神の怒りに触れたと見なされた。享年は52歳。
仲哀天皇が崩御したのは「橿日宮」(福岡市東区)で、現在ここは仲哀天皇と神功皇后を祀る「香椎宮」が鎮座している。
遺体は武内宿禰により海路で穴門(穴戸、現在の下関海峡)を通って豊浦宮(現下関市)で殯された。

【キーワード】

・仲哀天皇
・氣長足姫尊を=神功皇后
・橿日宮=香椎宮

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