記紀神話

【ざっくり記紀神話】31.第十二代 景行天皇紀

更新日:

※『古事記』版は記述が少なく、詳細が分かり辛い為『日本書紀』版を元としています。

※神名などの表記も、極力『日本書紀』版に合わせています。

スポンサードサーチ

【あらすじ/要約】

●垂仁天皇の第3皇子。垂仁天皇37年1月1日に21歳で立太子。
●父帝が崩御した翌年に即位。
●即位2年、播磨稲日大郎姫を皇后とした。大碓皇子・小碓尊らを得ている。

美濃行幸

●即位4年、美濃国に行幸。
●美人と名高い弟姫を妃にしようと泳宮(くくりのみや)に滞在するが、拒絶された為、姉の八坂入媛命を妃としとした。
●八坂入媛命との間に稚足彦尊(成務天皇)、五百城入彦皇子らを得る。

●また同時期、美濃国造に美しい2人の姉妹がいると聞いて妃にしようと考える。
●大碓皇子を派遣するも、大碓皇子は姉妹の美しさのあまり使命を忘れて役目を果たさなかった為に、天皇は恨んだといわれる。

九州巡幸

●即位12年、南九州にいた熊襲が朝貢をしなかった(朝廷に背いた)為、九州に天皇自ら親征開始。熊襲土蜘蛛を次々と征伐する。平定後、九州各地を巡幸し即位19年に都に戻った。
●この間に京(みやこ 福岡県京都市)や、碩田(おおきた 大分県)などの地名が多く載せられている。
●有明海に浮かぶ「不知火」をみて、その地を「火の国」と命名したことでも有名。

●周防国の娑麼(山口県防府市)の神夏磯媛(女酋)誅殺
●筑紫(九州)豊前国長狹県に行宮(かりみや)を設けた為、ここを京都郡と呼ばれている
●碩田国(現大分県)の速見村の速津媛(女酋)から、天皇に従わない五人の土蜘蛛の事を聞く。
 ○「鼠の石窟(石室)」に住むに ⇨ 稲葉の川上に追いやり賊軍と共に壊滅させる。椿の槌をつくった所=海石榴市、血が大量に流れた所=血田 と呼ばれるようになる。
 ○禰疑野(ねぎの)に住む打猿八田国摩侶 ⇨ 苦戦をしつつもそれぞれを破る。降伏した打猿も許さずに誅殺される。

●熊襲国に入り高屋宮を設け熊襲梟帥(くまそたける)を討つ計画を立てる。
●熊襲梟帥は強大だった為、まずは娘である市乾鹿文(いちふかや)と市鹿文(いちかや)の姉妹を妃にし、熊襲の拠点を聞き出す事にした。姉妹は策に嵌まり寵愛された。市乾鹿文は熊襲梟帥の元に戻ると、父に酒を飲ませ泥酔したところを殺してしまう。そこまでの意図なかった天皇は市乾鹿文の親不孝を咎めて誅殺、妹は火国造に送り飛ばしてしまった。
●熊襲平定は完了し、その地の美人の御刀媛を妃として豊国別皇子を得た。日向国造の祖である。

●即位17年、子湯県の丹裳小野で朝日を見てこの国を「日向」と名付けた。そして野原の岩の上に立ち、都を思って思邦歌(くにしびのうた)を詠んだ。

●即位18年、都へ向け出立。夷守(宮崎県小林市)で諸縣君の泉媛の歓待を受ける。
 ○熊県(熊本県球磨郡)に進み、首長である熊津彦兄弟の兄を従わせ弟を誅殺。
 ○葦北(同葦北郡)、火国(熊本県)、来県(諫早市)を経た玉杵名邑(熊本県玉名市)で津頰という土蜘蛛を誅殺。
 ○阿蘇国(熊本県阿蘇郡)、御木(福岡県大牟田市)、的邑(いくはのむら/福岡県浮羽郡)を巡った。
その道中では地名由来説話が多く残されている。

●即位19年、還御。

※『古事記』に九州巡幸の記載なし。

五百野皇女

●即位20年、五百野皇女に天照大神を祀らせる

○『倭姫命世記』によると、伊勢の斎宮を倭姫命から交代したとされているが、『日本書紀』の日本武尊の東征の記事だと一世代前の倭姫命が登場する。

小碓尊=日本武尊皇子

●即位27年、竹内宿禰が北陸・投獄を視察し蝦夷の存在を報告する。
●同年、熊襲が再叛すると景行天皇は小碓尊(おうすのみこと)を使わし討たせた。
●女装して川上梟帥を討つと、川上梟帥から「日本武尊皇子(ヤマトタケル)」の名を奉られる。

●即位40年、武内宿禰に視察させていた東国の蝦夷が背いた為、これも日本武尊に東征させた。
●3年後、帰途に伊勢国能褒野で30歳で逝去した日本武尊を埋葬し、大和国と河内国にも白鳥陵を造る。

⇨日本武尊皇子(ヤマトタケル)についての詳細はこちらから

●即位51年、稚足彦尊を立太子。
●即位52年、播磨稲日大郎姫の崩御に伴い八坂入媛命を立后。

●即位53年から54年にかけて日本武尊の事績を確認するため東国巡幸。
●即位58年、近江国に行幸し高穴穂宮に滞在すること3年。
●即位60年、同地で崩御。

【キーワード】

・小碓尊=日本武尊皇子=ヤマトタケル
・九州巡幸
・日向国造
・日本武尊皇子
・武内宿禰
・熊襲
・土蜘蛛
・蝦夷

-記紀神話

Copyright© 浮世探訪記 , 2021 All Rights Reserved.