記紀神話

【ざっくり記紀神話】30.第十一代 垂仁天皇紀①

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※『古事記』版は記述が少なく、詳細が分かり辛い為『日本書紀』版を元としています。

※神名などの表記も、極力『日本書紀』版に合わせています。

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【あらすじ/要約】

多くの逸話が残る天皇

●即位2年、狭穂姫命(さほひめのみこと)を立后。また、垂仁天皇から任那(使者/蘇那曷叱知)への贈り物を新羅人が奪った事で、任那と新羅の抗争が始まったとされる。

●即位3年、纒向珠城宮に都を移す。

出石神社の創祀伝承

●同年、新羅の王子/天日槍七物(ななくさ)の宝物を持って渡来。但馬(兵庫県北部)に居を構えて神宝とする。
 これが但馬国一宮の出石神社の創祀伝承で、天日槍の子孫が田道間守である。

皇后の兄・狭穂彦王の謀反

●即位5年、天皇の従弟あり、皇后の兄・狭穂彦王(さほびこのみこ)は妹をそそのかして天皇の暗殺を試みた。
●皇后は狭穂彦王に「寝ている天皇を刺せ」と短刀を渡されたが、実行にはうつせず天皇にすべてを打ち明けた。天皇は狭穂彦王の討伐を決意。
●しかし兄を見捨てられない皇后は狭穂彦王の元へ走り、ともに籠城。攻めあぐねていた天皇がついに狭穂彦王の城に火をつけると皇后が飛び出してきて、生まれたばかりの誉津別命(ほむつわけのみこと)だけを預けると燃える城の中に戻り、そのまま兄と共に焼死してしまった。

野見宿禰

●即位7年、大和に当麻蹴速(たぎまのけはや)という力自慢がいたので、垂仁天皇は出雲国から野見宿禰(のみのすくね)を呼び二人を戦わせたところ、野見宿禰が当麻蹴速の蹴り殺して勝利した。これが相撲の発祥とされ野見宿禰は相撲の神として崇められている。
●垂仁天皇は当麻蹴速が持っていた大和国当麻の地(奈良県葛城市當麻)を野見宿禰に与えた。

再婚 

●即位15年、狭穂姫命を失った天皇は丹波道主王の娘たちと再婚し、その中で長女の日葉酢媛命を皇后とする。
●末娘の竹野媛は醜かったので故郷に返されてしまった。それを大いに恥じた竹野媛は葛野で輿から投身自殺してしまった。

鳥取造

●即位23年、狭穂彦王の謀反で焼死した皇后・狭穂姫が遺した誉津別命は、30才になっても言葉を話すことができず振舞いも子供のようだったが、解決策は浮かばなかった。
●ある時、飛んできた鵠(くぐい)を見た誉津別命は「あれはなんだ」と初めて言葉を発したので喜んだ天皇は、湯河板挙(ゆかわたな)にその鵠を捕まえるよう命じた。
●湯河板挙は出雲で鵠をを捕まえて献上。誉津別命は鵠をを玩ぶと言葉を話せるようになった為、湯河板挙は賞せられて「鳥取造(ととりのみやつこ)」となった。(『古事記』では本牟智和気御子が話せなかったのは、出雲神の祟りとある)

伊勢神宮の創始

●即位25年、豊鍬入姫命に替わり、皇女の倭姫命が天照大神の祭祀を託すことになった。
●倭姫命は大神が鎮座するのに相応しい地を探して菟田の筱幡(ささはた)、近江・美濃を経て伊勢に入ったところ、天照大神から以下のように託宣されたので、この地に祠を建て、五十鈴の川上に斎宮を設け、磯宮(=伊勢神宮)と名付けた。
●これが天照大神が初めて天降った場所である。

神風の伊勢国は、常世の波の重波帰する国なり。 傍国の可怜し国なり。是の国に居らむと欲ふ

(伊勢は常世からの波が重なり打ち寄せる、東の端にある美しい国である。この国に留まりたい

補足

○内宮鎮座の時の設定 ... 天照大神を渡遇宮(わたらいのみや)に遷したのは「翌丁巳年(26年10月甲子日)」とあるが、暦上この年の10月に甲子日はないので、9月17日の誤りではないかと言われている。伊勢神宮ではこの記事に基づき26年9月を内宮鎮座の時としている。

○倭姫命の行程 … 『日本書紀』だと大和→近江→美濃→伊勢と国名のみの記載だが、平安初期に朝廷に献上された『皇大神宮儀式長』や鎌倉時代の『倭姫命世記』には更に詳しい行程の記録がある。(『倭姫命世記』には豊鍬入姫命の巡幸についても記されている)

殉葬の禁止

●即位28年、弟・倭彦命が亡くなると近習者が集められ、生きながらに墓に埋められた(殉死)。
●彼らは数日間も死に切れずに昼夜呻き続けたうえに、死後には犬や鳥が腐肉を漁った。
●その様子があまりに惨たらしかった為、哀れに思った天皇は殉死の風習を禁止した。

●即位32年、皇后の日葉酢媛命が亡くなった際、野見宿禰が殉葬の代わりに埴輪(人や馬の形をした焼き物)を立てることを提案。出雲国から100人の土部(はじべ)を呼び寄せることにした。
●天皇はこれを称えて野見宿禰に「土師臣(はじのおみ)」の姓を与えた。

神宝

石上神宮の神宝

●即位39年、皇子・五十瓊敷入彦命(いにしきのみこと)が剣を一千口(1000本)作り石上神宮に納めた。のちに五十瓊敷入彦命に同神宮の神宝(かむたら)を主らせた。

※『古事記』にも同様の記事があり、石上神宮が朝廷の武器庫という面も持っていた事が表されている。

但馬の神宝

●即位88年、天日槍の曾孫の但馬清彦に但馬の神宝を献上させた。現在、その神宝は出石神社で祭られている。

非時の香菓

●即位90年、天皇は田道間守常世国へ遣わして「非時の香菓(ときじくのかくのみ)」を採りに行かせた。
●非時の香菓とは、諸説はあるものの「橘の実」とされ、不老長寿の薬である。

●田道間守は常世国を探し回り、非時の香菓が沢山成っているのを見つけた時には十年の歳月が流れていた。
●非時の香菓を持ち帰った時には既に天皇は亡くなっていた。困難な旅を成し遂げた田道間守であったが、目的を果たせなかった事を悲観した田道間守は陵の前で自殺してしまう。
●田道間守は「お菓子の神様」として、今も篤く信仰されている。

○田道間守の忠心を悲しんで、垂仁天皇寮の近くに葬られたという伝承もあるが、『日本書紀』には記載はない。

崩御

●即位99年にて、垂仁天皇崩御。

【キーワード】

・天日槍 
・七物の宝物 (『一書』では八物、『古事記』では応神天皇条に「天之日矛」表記で「八種の宝物」)
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