記紀神話

【ざっくり記紀神話】29.第十代 崇神天皇紀②

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※『古事記』版は記述が少なく、詳細が分かり辛い為『日本書紀』版を元としています。

※神名などの表記も、極力『日本書紀』版に合わせています。

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【あらすじ/要約】

四道将軍

●即位9年、崇神天皇は夢で神のお告げがあったとし、大和国東口の墨坂神と西口の大坂神を盾と矛をもって祀った。
●即位10年、遠方はまだ乱れていると四道将軍を派遣することを宣言した。
●大彦命を北陸道に、武渟川別を東海道に、吉備津彦を西道に、丹波道主命を丹波に将軍として遣わし、従わないものを討伐させた。

四道将軍(よつのみちのいくさのきみ/しどうしょうぐん)
崇神天皇の時代、日本の要となる四方に派遣されたとされている、四人将軍(皇族)のこと。

・北陸 = 大彦命 第八代 孝元天皇の皇子
・東海 = 武渟川別命 
大彦命の子
・西道 = 吉備津彦命
 第七代 孝霊天皇の皇子
・丹波(山陰道) = 丹波道主命
 第九代 開化天皇の皇子

和珥坂の少女の不吉な歌

●大彦命が和珥坂(わにのさか/奈良県天理市)まで来ると、奇妙で不吉な歌を歌う少女に遭遇する。

御真木入日子はや 己が命を 殺せむと 竊まく知らに 姫遊すも
大城戸より 窺ひて 殺さむと すらくを知らに 姫遊すも



御間城入彦(=崇神天皇のこと)よ。あなたは自分の命が狙われているのも知らないで、若い娘と呑気に遊んでいらっしゃる。

●この歌を聞いた大彦命は直ちに訪ねた。「お前は何の話をしている?」
●すると少女は「何も。ただ歌っているだけです」と答え、同じ歌を繰り返していたかと思うと、たちまちに姿を消してしまった。ただならぬ出来事に大彦命は急いで引き返した。

倭迹迹日百襲姫命の不吉な予言

●引き返して報告すると、倭迹迹日百襲姫命が詳細な予言を行い、武埴安彦(たけはにやすびこ/孝元天皇の皇子)の叛意が判明する。
●武埴安彦は山背から、その妻の吾田媛は大坂からともに都を襲撃しようとしたが、崇神天皇は吉備津彦命を遣わして吾田媛勢を、武埴安彦勢には大彦命と彦国葺(ひこくにぶく)を差し向かわせて討ち取らせた。

●叛乱が終息し畿内に平穏が訪れると、四道将軍は再出発した。北陸に派遣された大彦命と東海に派遣された武渟川別の親子が合流した土地(相津=会津)という意味から、この土地を会津という。
●翌年、四道将軍は各地の戎夷を平定し帰還した。

御肇国天皇

●即位12年には、戸口を調査して初めて税制なども整え、国内が大いに治ったのでた。この偉業をもって御肇国天皇(はつくにしらすすめらみこと)と称えられている。

※神武天皇も同じく「はつくにしらすすめらみこと」と呼ばれているが、用字・意味が異なっている。
神武天皇 ⇨ 始馭天下之天皇  初めて天下を治めた天皇
崇神天皇 ⇨ 御肇国天皇  初めの頃の国を治めた天皇   の意

●即位17年、献上品を運び込むための船を作らせた。
●即位48年、豊城命と活目尊を呼んで夢占いを行い弟の活目尊(垂仁天皇)を皇太子とした。兄の豊城命には東国を治めさせた。
●即位62年、灌漑事業を行って各地の池などを開き大いに農業の弁を図った。

●即位65年、任那が使者として蘇那曷叱知(そなかしち)を遣わし朝貢を納めた。
●素戔嗚尊が新羅に天降ったという異伝を除けば『日本書紀』において初めての朝鮮半島関連の記録であり、わが国初めての外交の記録である。

●即位68年、崩御。
●蘇那曷叱知は活目尊(垂仁天皇)の即位2年に任那へ帰国したが、その際に天皇からの下賜品を新羅に奪われてしまった。『日本書紀』における任那と新羅の抗争はここから始まる。

大和と出雲の微妙な関係

出雲振根

●ある時、天界から伝えられたとされる出雲の神宝を崇神天皇が献上するよう要求した。
●出雲臣の祖である首長・出雲振根(いずものふるね)が不在の折り、断りもなく弟達が宝を差し出してしまった。

●大いに怒り振根が弟の飯入根を殺したことで、朝廷から将軍・吉備津彦命武渟川別命が派遣され討たれてしまうことになる。

神宝は出雲の支配権の象徴であり、振根は安易に朝廷の威力に屈した一族の者の弱腰に対して怒っている訳だが、ここに大和朝廷と出雲の微妙な関係性が伺える興味深い伝承である。

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