記紀神話

【ざっくり記紀神話】24.初代 神武天皇紀①

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※『古事記』版は記述が少なく、詳細が分かり辛い為『日本書紀』版を元としています。

※神名などの表記も、極力『日本書紀』版に合わせています。

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【あらすじ/要約】

神日本磐余彦尊(=神武天皇)の東征

東征を決意

●神日本磐余彦尊(かむやまといわれびこのみこと)は生まれながらに、明敏で強い志を持っていた。
●尊が45歳の時、兄や皇子を集め「瓊瓊杵尊(=邇邇芸命)が天降り、依頼歴代が日向の地にもたらした恩恵は、遠くの国々には及んでいない。そこで天業恢弘(てんぎょうかいこう)の為に、東にあるという美しい国に都を置き、天下を治めよう」と東征を決意・開始した。

●塩土老翁(=塩椎神)がいうには、その東の地に天磐船に乗って降りた者がいるそうで、おそらくその降りた者というのは饒速日命(にぎはやひのみこと)であり、また、その土地は天下を治めるのに適した場所だという。

●皇子たちと先導を連れて日向を出発した磐余彦尊は、速吸之門(豊予海峡)で珍彦(うずひこ)という国津神と出会い、彼に道案内させた。

●尊の船団(皇軍)はまず筑紫の宇佐(大分県宇佐市)に着き、そこで宇佐国造(宇佐神宮大宮司家)の祖である菟狭津彦が一柱騰宮を建て、そこに迎えられられた。
●続いて崗水門(北九州)、安芸の埃宮(広島県安芸郡府中町)、吉備の高嶋宮(岡山市高島)と進み、この地に3年滞在し兵備を整えた。

ここまでの神日本磐余彦尊の軌跡

●紀元前663年、皇神日本磐余彦尊は多くの船団を率いて浪速(大阪湾)に至ると、河を遡って河内国(南大阪)に上陸。更に大和を目指し胆駒(生駒)に入った。

 ・日向(宮崎県高千穂峰 or 高千穂町)
    東征を決意し出発
   ↓
 ・速吸之門(豊予海峡)
    珍彦と出会い道案内させる
   ↓
 ・筑紫の宇佐(大分県宇佐市)
    菟狭津彦に一柱騰宮で迎えられる
   ↓
 ・崗水門(北九州)
   ↓
 ・安芸の埃宮(広島県安芸郡府中町)
   ↓
 ・吉備の高嶋宮(岡山市高島)
    3年滞在し兵備を整える
   ↓
 ・浪速(大阪湾)
   ↓
 ・河内国(南大阪)

豪族・長髄彦との争い

●大和を目指し皇軍が生駒に入ると、国を奪われると危惧した豪族・長髄彦(ながすねひこ)に行く手を阻まれ、孔舍衞坂(東大阪市日下町)で合戦となった。
●その際、磐余彦尊の兄・五瀬命が矢で負傷した為、皇軍は進軍を諦めた。

日神の子孫

●敗戦後、磐余彦尊は「日神の子孫でありながら、太陽に向かって敵を討つのは天の道に逆らう事である。神を祭り背に日神の神威をいただき、日影が挿すように敵を倒すべきである」と部下に示し退却命令を出し南へ向かった。

紀伊半島を迂回し大和へ

磐余彦尊は東から大和を攻める為に、紀伊半島(和歌山)を迂回したが、途中で五瀬命の傷が悪化し、長髄彦報いることが出来ぬままに死ぬことをを憂いて雄叫びを上げた後、死んでしまった。
●五瀬命は竈山(和歌山市の竈山神社)に葬られた。

●磐余彦尊の船団は海路を渡って紀伊に到着したが、暴風雨に遭い、次兄の稲飯命と次々兄の三毛入野命は暴風雨を鎮める為に海に入水してしまう。
稲飯命は剣を抜いて海に入るととなり、三毛入野命は波を踏んで常世国へ渡ったといわれる。

●磐余彦尊は息子の手研耳命(たぎしみみのみこと)と共に皇軍を率いて熊野の荒坂津へ入り、そこで女酋長、丹敷戸畔(にしきとべ)という者を殺した。
●すると神が毒を吐いたため、磐余彦尊と皇軍・さらには兵士までもが毒気にあたって皆病み付してしまった。

 ・紀伊半島を迂回中に五瀬命亡くなる
    竈山神社
   ↓
 ・暴風雨に遭い稲飯命と三毛入野命が入水
    稲飯命⇨鮫 / 三毛入野命⇨常世国へ
   ↓
 ・筑紫の宇佐(大分県宇佐市)
    菟狭津彦に一柱騰宮で迎えられる
   ↓
 ・熊野の荒坂津で女酋長 丹敷戸畔を殺害
   ↓
 ・悪神の毒気にあたり、全員病み付してしまう

高倉下の夢と霊剣・韴霊の剣

●その頃、天井では天照大神が磐余彦尊達の情勢を憂いて、武甕雷神を地上へ派遣しようとしていたが、武甕雷神は「韴霊の剣(ふつのみたまのつるぎ)を降ろせば鎮まるでしょう」と答えた。

●武甕雷神はこの地に住む高倉下(たかくらじ)という者に夢の中で霊剣を預け、これを磐余彦尊に渡すように命じた。
●高倉下が翌日蔵を覗いてみると、夢で言われたとおりに霊剣が床板に突き刺さっていたので、早速、磐余彦尊に韴霊の剣を献上した。

●すると剣の霊威によって、磐余彦尊達はたちまちに回復し進軍を再開する事が出来たが、熊野の山々は非常に険しく、越えるのは大変な困難だった。

八咫烏

●天照大御神は、今度は八咫烏を送り道案内をさせた。
●また、大伴氏の先祖である日臣命の案内によって、ついに菟田(奈良県宇陀市)に入ることが出来た。
●日臣命はこの時の功績を評価され、「道臣」という名を授かった。

菟田の兄猾と弟猾

反抗する兄と、降伏する弟

●磐余彦尊は菟田に入ると、首長兄弟の兄猾(えうかし)と弟猾(おとうかし)を呼び寄せたが、兄猾は現れなかった。
●そのため、弟猾は兄猾が磐余彦尊に対し反骨心を抱いていることを伝えた。

●磐余彦尊は道臣を兄猾の元へ派遣して、様子を伺わせたが、弟猾の言う通り。反骨心を抱いていることが明らかだった。
●道臣は怒って兄猾が罠を張った小屋に、兄猾を脅し入れ自ら罠にかからせて殺した。

来目歌(久米歌)

兄猾を征討した磐余彦尊は、勝利の宴で来目歌と呼ばれる歌を詠ったという。

菟田の 高城に 鴫罠張る
我が待つや 鴫は障らず
いすくはし 鷹等障り
前妻が 肴乞はさば
立稜麦の 実の無けくを 幾多ひゑね
後妻が 肴乞はさば
斎賢木 実の多けくを 幾多ひゑね

【キーワード】

・神日本磐余彦尊=伊波礼毘古命=神武天皇
・天業恢弘=天津神から委ねられた使命を広めること
・東征
・饒速日命
・珍彦(うずひこ)=椎根津彦
・宇佐国造
・狭野神社
・宮崎神宮
・浪速
・長髄彦=登美能那賀須泥毘古
・武甕雷神
・高倉下
・韴霊の剣(現在:奈良県天理市の石上神宮に奉斎)
・八咫烏
・日臣命=道臣
・兄猾と弟猾
・来目歌

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