※あらすじは、『古事記』版を元としています。
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【あらすじ/要約】
葦原中国を子・天忍穂耳命に治めさせたい天照大御神
●高天原の天照大御神は、「豊葦原の千秋長五百秋の瑞穂の国(=葦原中国)は我が御子、正勝吾勝勝速日天忍穂耳命(まさかつあかつかちはやひあめのおしほみみ)が治めるべき国である」と天降りを命じた。
●天忍穂耳命は天浮橋に立ち、下界をのぞいた後「葦原中国は大変に騒がしい状態のようです」と高天原の天照大御神に報告した。
地上に派遣されたまま戻らない神々
天菩比命の派遣
●そこで、高御産巣日神と天照大御神が、天安河の河原に八百万の神々を集め「我が子が治めるべき葦原中国で、荒々しい国津神が暴れ回っているようだ。平定させるにはどの神を遣わせれば良いか?」と問うた。
●思金神と八百万の神々は相談して「天菩比命(あめのほひのかみ)が適任である」という結論になった。
●天照大御神は天菩比命を葦原中国の大国主神の元へ派遣したが、天菩比命は大国主神の家来として媚びへつらい、3年経っても高天原に戻ってこなかった。
天若日子の派遣と死
●高御産巣日神と天照大御神は、八百万の神々に「天菩比命が長らく戻らない。今度はどの神を派遣すべきか」と再度問うと、諸々の神と相談後、思金神は「天津国玉神の子である、天若日子(あめのわかひこ)が良いでしょう」と答えた。
●そこで、天若日子に天之麻迦古弓(あめのまかこゆみ)と天之羽々矢(あめのははや)と授けて葦原中国に遣わした。
●しかし、天若日子は地上に降りると直ぐに、大国主神の娘の下照比売(したてるひめ)と結婚してしまったばかりか、自分が葦原中国を得ようと企み、8年たっても高天原に戻ってこなかった。
●疑わしく思った天照大御神と高御産巣日神は、神々と思金神の助言を受け、使命を果たさず長らく留まっている理由を問い正すために、雉名鳴女(きぎしななきめ)を派遣した。
●鳴女は天から降りて、天若日子の家の門の楓に止まると、言いつけ通りに「お前を葦原中国に遣わしたのは、荒ぶる神々を和らげることだ。なぜ8年も戻らない」と大きな声で鳴き伝えた。
●居合わせた天佐具売(あめのさぐめ)は「この鳥は鳴き声が大変に不吉なので、射殺しておしまいなさい」と天若日子をそそのかし、天若日子は、直ちに天津神から授かった 天之波士弓と天之加久矢 で鳴女を射殺してしまった。
●その矢は天安河の河原にいた天照大御神と高木神(=高御産巣日神)の所まで届いた。
●高木神は血が付いていたその矢を取って確認すると「これは天若日子に与えた矢である」と諸神に示して「もし天若日子が命令に背く事なく悪い神を射た矢が届いたのであれば、この矢は天若日子に当たらないだろう。しかし、もし邪悪な心があるのなら、天若日子はこの矢に当たって死ぬが良い」と言って矢を下界に投げ返した。
●矢は、朝の寝床で寝ていた天若日子の胸を射抜き、彼は死んでしまった。
●雉も還らなかった。「雉の頬使い(ひたづかい=行ったきり戻ってこない使いの事)」という諺の由来はここにある。
阿遅志貴高日子根神
●天若日子の死を嘆く下照比売の泣き声が風に乗って天にも届いた。
●天若日子の父・天津国玉神や親族が、それを聞き下界に降りると嘆き悲しみ、喪屋を作って葬儀を行った。
その時鳥達はそれぞれ役割を持って八日八夜にわたって歌舞を行った。
・雁 → 岐佐理持(葬送の際、死者の食物を頭にのせて運ぶ係)
・鷺 → 箒持ち(清め係)
・カワセミ → 御食人(死者に供える食事を作る係)
・雀 → 碓女(米つき)
・雉 → 泣き女(悲しみを演じる係)
●そこへ阿遅志貴高日子根神(あじしきたかひこねのかみ)が弔いに訪れた。
●天若日子の父や妻、親族が皆で「我が子は死んでいなかった。私の夫は死なずにいた」と言って、阿遅志貴高日子根神にとりすがって泣いた。
●すると阿遅志貴高日子根神は「私は親友だから弔問に来たのだ。どうして私を穢れた死人と見間違えるのか」と怒り、腰に携えていた剣で喪屋を切り倒し、蹴り飛ばして壊してしまった。
●すると喪屋が山となった。これが美濃国の藍見河の河上の喪山であるという。
●また、阿遅志貴高日子根神が持っていた剣は大量(おおはかり)、またの名を神度剣(かむどのつるぎ)という。
※死者に間違われた阿遅志貴高日子根神の怒り
弔問に訪れた阿遅志貴高日子根神が、死者と間違われて怒るのは、当時死は穢れとみなされ忌み避けるべき対象であった為。
いくら親友の親族だとしても許し難い無礼であったという事。
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・豊葦原の千秋長五百秋の瑞穂の国(とよあしはらのちあきのながいおあきのみずほのくに)=葦原中国
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